【ブライダルスタイリストの皆さまへ】
ホームページへ、来てくださりありがとうございます。
これまで、30年近く、ブライダルスタイリストをやって来ました。

ドレスフロア
その内、22年間組織勤めをしました。
その年月の中で、2回だけ「絶対、辞めてやる!!!」と、強く思いました。
もちろん、「辞めてやるーーー!」とか、愚痴の様に叫ぶことは何度もありました。
身体が疲れ切って、一歩も歩けない時、心がボロボロに折れて粉々になって、
立つことさえ出来ない時、こんなことは数えきれないほどありました。
原因は、たったひとつだけ「働き過ぎ!」だと思います。
そんな状況の中、どうしても辞めたかった時が2回ありました。
1回目は、33歳の時です。
まだ、パート勤務だった時のことです。
「日曜日に休む奴は、明日からタイムカードが無いと思え!」と、言われました。
当時、パート勤務でありながら、
ブライダルスタイリストの仕事に、引き込まれ始めていた時です。
30歳で入社して、3年目の出来事です。
娘小学校2年生の時、日曜日に秋の運動会がありました。
私は、パート勤務と言うコトで、月に1度だけ、日曜日に休むことが可能でした。
正社員であれば、日曜日に休みを取ることなど、クビを覚悟しなければいけないほどでした。
ただ、「日曜日に休むことが可能」これは、あくまでも建前。
パート勤務でも、日曜日に休むと、かなり冷ややかな目で見られます。
当時のブライダル業界、多かれ少なかれこのような企業は多かったと思います。
ですが、運動会の日だけは休みましたよ!当然です!
その日は、朝から雨。
学校からの連絡で、運動会は、次の日曜日に延期になりました。
娘は、運動会はなくても、家族が揃った日曜日がとても嬉しい様子でした。
結果、初めて!月に2回、日曜日を休みました。 ← 会社の規則違反です!
そして・・・、朝礼にて、とてもきつい言葉を全身にあびました。
この時です!
「日曜日に、運動会に、休めないような仕事なら辞めます!」と、叫びました。
もちろん、自分が規則違反をしたのですから、それなりの覚悟はしていました。
結果、辞職には至りませんでしたが、待遇はかなりきつかったです。
2回目は、50歳の時です。
組織の中で、かなり重要なポジションを担っていました。
実母介護の為、辞職を伝えましたが、受け入れてもらえず困りました。
母の死が、目の前にありましたので、焦りと怒りをおぼえました。
そして、「一日も早く、辞めてやる!!!」と、強く思いました。
そんな気持ちであっても、それまで以上に気持ちを込めて
後のコトを考えて、目の前のコトをやり遂げました。
「全体の士気が下がるから、決定までは誰にも、どの部署にも知られないように!」と、言われていました。
それは、元より同じ気持ちでした。
そして、決定に至ったのは、辞職のひと月前でした。
会社側との話し合いを持ちながら、辞職まで一年近くかかりました。
退職後、母は三か月と16日で余命を終えました。
今にして思えば、
ブライダルスタイリストの仕事が、嫌で辞めたくなったことは一度もありません。
「売上ノルマが、嫌で辞めたい!」も、無かったです。
組織環境が、あまりにもハードだったので、
他の事が、楽しく思えていたのかもしれません。(笑。

ドレスフロア
過酷な組織環境でしたが
ブライダルスタイリストの仕事が、私を支えてくれていました。
こんなに好きな仕事のコトを、「天職」と言うのだと思います。
最後に、
今の私が在るのは、「過酷な組織環境」のおかげです。
変ですか・・・? 変ですが、本心です!
ブライダルのお仕事のみならず、世の中の仕事は、どれもこれも
捉え方ひとつで、「誰かの幸せに貢献できる仕事」です。
その中で、自分の幸せ感を見出すのは、自分自身の裁量です。
環境や、起きたコトに左右されるのは、自己の裁量の仕業です。
よって! 時を経て、心底感謝しています!!!
ブライダルスタイリストコーチTAKAKO
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