こんにちは。初めまして、木脇孝子と申します。
簡単なプロフィールです。現在までのことを書きました。
拠点、岡山県倉敷市。
現在「team LOVE」独立9年目。
独立後は、現場経験を生かし、
独自の研修カリキュラムにてブライダルスタイリストに特化した、
売上を上げる為の育成研修を、各地の衣裳店、結婚式場へ出向き行っています。
特許庁登録自社開発商品
「Bon bon hip」TV東京経済番組WBS「トレたま」特番にて年間特別賞受賞。
岡山ウエディング協議会
「夢婚」第2回・第3回・第4回のスタイリストを受持ちました。
未来の子供たちの為に、
残すべき社会の在り方を問いながら、経営者仲間と切磋琢磨する現在です。
起業したころ、業界は低迷期のど真ん中へ突入したころでした。
起業の理由は、組織を卒業して実母の介護をして、
母をみおくって、「生きるために、動かなければ」
と気づいた時、横をみたらブライダルが隣にいてくれました。
それは、ごくごくあたり前のように隣にいました。
母を失い、身のおきばさえわからず、
地べたを這うように生きていた時のことです。
「私にはブライダルが在った」だから、
次の日から立ち上がり動くことができました。
よって、独立したい!とか、
経営者になりたい!とか、思ったわけではありません。
サラリーマン生活が長かったので、
起業という言葉は、身近ではありませんでした。
ただ、育った環境において。
事業家の父の元で、
「たかこ、このお菓子を、もっとおいしくするにはどうしたらいいと思う?」
「たかこ、このひとが、こまっている。かいけつしてあげるにはどうすればいい?」
「たかこ、かりたものは、きめたひにちよりもまえにかえすんだ!」などなど。
幼い時から、子どもに分かりやすく、
商いを話してくれる父の存在がありました。
そして、「社長になれ」「日本一になれ」と、
耳にタコができるほど、6人の兄弟姉妹に言っていました。
豪傑な父でした。
◇ 組織にいたころ、2011年←1989年
「ブライダル企業」にて組織づとめをしてました。
ブライダルスタイリストとして22年くらいです。
この期間は、人生で最もハードでおもしろかった時です。
死ぬほど働きました。
自慢できるほどの実績(売上)を組織にのこしました。
自宅と仕事場と、ときどきスーパーマーケット。
この往復だけ。
今にして思えば、
過度な働き方でしたから、死ななかったことが不思議です。
かなり丈夫に産み、そだてていただいたのだと思います。
感謝です!
この時のことを、プロフィールとしてお知らせする時の文面です。↓
30才パートの主婦が、
ブライダル衣裳店の裏戸をノックした時から、ブライダルスタイリスト人生がはじまりました。
31年目になります。企業人として組織勤め22年。
岡山NSHIKIYAグループ衣裳部門にて、
ブライダルスタイリストとして
3000組のブライダルスタイリングと、1万組近くの新規接客を手がけました。
幹部職として、衣裳仕入、売上計画管理、美容部門管理、
人材育成研修、自社ブランド構築、ブライダルフェア企画運営、メ
ディア戦略等を行いながら、衣裳部門現場リーダーの役割として、売上のトップ実績を挙げ続けました。
組織にて、鬼のように売上を上げ続けた理由は、
部下の給料を1円でも多くしたかったからです。
仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、、、。
◇ 主婦のころ、1988年←1979年
主婦です。二人の子供の母業だけをしていました。
短期間のパートを、いくつか経験しました。
(保険外交員、化粧品訪問販売、事務、スーパーレジ、
お惣菜やさん、ガードマン?など)どれも、おもしろかったです。
このころ、ママ友さんに着付けを教えてもらいながら
「着付け講師の資格」を取得しました。
人生で、初資格取得です。
亡き母が、私の成人式に、
自分で振袖を着せるために、着付けを習っていました。
それなのに、成人式の日、出かけてしまい、振袖を着ることをしていません。
そんな、大馬鹿者です。
孝子の「孝」は、親孝行の孝なのに。
書きながら、その日のことを想いだしました。
◇ 1978年←1959年
1959年、熊本で生まれました。
幼いころは、お転婆でした。
本人に自覚は、まったくありません。
行きたいところへ行き、やりたいことをやりたかっただけです。
現在につながる兆しは、このころから顕著に現れていました。
父が、大阪へ出ることになり、大阪にて、多感な時期をすごしました。
北と南でよく学び、よく遊びました。
そのころ、具体的にこの世界へ憧れはじめました。
大阪の繊維問屋街、本町、堺筋本町にて、
生地屋さんをみて歩くのが何よりも楽しかったです。
わくわくドキドキしながら、
日が暮れるまで界隈を歩いていました。
高校卒業後、デザイナーに憧れ、
登竜門と言われた東京文化服装学院への入学。
新宿に在る、学院では
DCブランドのデザイナー達が、あちこち普通に歩いていました。
◇ 結び
ざっと。現在から1959年まで下ってみました。
あっという間でした。
人生は、あっという間ですね。
思うほどに、長くないと知りました。
大切に、生きていかねば!
仕事柄、主に倉敷、京都(実家)、広島にて過ごしております。
では、では。また、会いましょう!